狂技エアロの女・NO3
(2010.10.13)

ジャンク

麻田が紹介してくれた競技教室は
生徒数は大人60名以上ジュニア30名以上の規模でこの地域で大きな勢力を誇っていた。
選手も全国大会に参加選手が何人もいた。

正木は実はここに来る1ヶ月ほど前に、違うFCのイントラと付き合っていた。
まさか自分がイントラと付き合うとは思ってもいなかったようだ。
きっかけは飲み会だった。

正木は持ち前の明るさでエアロ仲間はすぐできた、メンバーとは1週間に1回は飲み会をひらいて、
よくキャンプや海などにも行くようになっていた。
仲間ができるとトラブルも起きるが
リスクなしに自分が楽しもうなんて言う世界はたいした面白みはない、とは正木の持論である。
その飲み仲間に彼女となる、イントラ長谷部良子(29)がいた。
そしてよく会ううちに付き合う様になった。

長谷部良子のレッスンは直線的な動きに回転を加えダイナミックに動くタイプで
いわゆるダンス的な要素は少ない。
そして彼女は競技をやらない、従って正木が競技を始めるのにいい顔はしなかった。
更に競技をやってるイントラも嫌った。

理由は、大会が近いと休むし、イントラとして見た場合、集客こそが一番評価されるにもかかわらず、たいした集客もないのにあの威張った態度が気に入らないと口癖に言う。

そのため後に、正木は競技の話を彼女の前では極力しない。
しかしまったく都合のいいもので、良子は忙しくて時間がないとき、何か面白い振りがないか、正木に聞いてきた。
正木は大会の振りや、面白かったレッスンのコリオを見せては、良子はそれを時々自分のレッスンに取り入れていた。
正木もそれはうれしかった、それは素人の自分の意見や振りをレッスンで使われるって事はそうざらに経験できることではないからだった。

良子は過去にボディービルをやっていたせいもあって、裏太ももからヒップにかけて
すごくいい締まりをしている、ただ肩幅が狭いためその道を諦めた。
更に彼女は左足の親指半分を車の事故でなくしていた、そのため力の重心が右足に偏り

肩こりはひどく、
それにもめげず、今も現役で頑張る姿に正木は尊敬をしていた。
そんな唯一の良子のコンプレックスは小さなバストだった・・・・
これが後でとんでもないこ事を言い出す。

正木は麻田に紹介された競技教室で、真面目に練習に取り組んでいた。
そして競技をはじめてすでに一年が過ぎていた。
しかし大会には一度も参加していなかったが、それは正木の目的は大会参加ではなくFCで上手に動くことであった為、
十分その成果はこの競技教室の練習で果たされていたのだった。

しかし来年こそは大会に出てみようかと考えていた。
それはここを紹介してくれた麻田からも言われていたし、
やはり評価がなければ自己満で終わってしまう虚しさも感じていた。

エアロビクスの大会は大きく分けて二通りある。
それは演技と言って、難度の高い技を繰り広げ、技以上に表現も重要な要素を必要とする、
振り付けである。
その代表的な大会はススキジャパンカップである。
しかしこの演技、技のレベルが高いため、ちょっとやそっとの練習ではお粗末な
物になり、競技者の間でも敷居は高い。

そこで大半の競技者はあらかじめ決められた振りを競い合う、サーキットやフライト
といった大会を目指して日頃の練習をする事になる。
正木も狙うとしたらもちろんそれで、経済的にもいいのだ。
とにかくこのスポーツエアロってやつは、上手くなろうとしたら金がかかる。
普段の月謝の他に大会の講習費、更には合宿、個人レッスン、大会用の
コスチューム、シューズなど切りがないのだ。
しかしお金をかければいいと言う物ではないが、根性だけで勝てるほど甘くはない。

そんな正木に更に大会参加を促したのは、ここ数年間競技での結果は残せていないが、この教室で、この競技教室の先生の信頼を一番かっていた小柄で髪は茶髪アイドル顔の斉藤静江(36)だった。
斉藤は「正木さん来年は大会頑張りましょう〜中々いいセンスしてますよ〜」とのかけ声も優しく、
正木はこの笑顔にうなずいた。
しかしこの斉藤静江が後に正木のエアロを狂わせる人物になるとは、この時知るよしもなかった。

続く・・・・

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